2014年1月4日土曜日

14044 人とどこまで違ったことをやるか


   14044(加筆1)

どこまで人と違ったことをやるか

人材の能力・適性の判定と教育とのギャップ

大学で受ける教育と実社会の求める能力のギャップはミステリーに近い感がある。
文系、理系、医学系、体育系、芸術系などに大きく分けられているが、生きている人間の能力の、どの部分がどの業種、職種にピッタリかということは、想像するより遥かに難しい。なぜかといえば学問として学ぶのは過去形で、現実の職場は動いているからである。それで(26)では、新たな勉強する分野を獲りに行く方がよいと述べたのだが。

同じ営業部でも、それぞれの業種の企業、その中の職種で変わる。消費者向け、企業向けの違いや、食品、医薬、家電品、自動車、機械類、で梱包も違えば展示も変わる。 製造はもちろんだが、サービス業なら更に多様である。

数学者のすすめ
世界的に著名な数学者故小林昭七先生の「『顔をなくした数学者』数学つれずれ」を弟さん小林久志氏(プリンストン大名誉教授)に頂いた。その末尾資料として1997年UCLAバークレー校教授時代に次のように述べておられる。以下要点のみ;
《学生を(A)数学を創るグループ、(B)数学を使うグループ(多くはこのグループ)、(C)教養として数学を学ぶグループに分ける。

その中で、《大部分の数学を必要とする学生》は、理、工、医、薬、農、経済などの学部は必須科目でもあるから4ないし8単位の必須の数学があり、微積分や線形代数などのコースを取る。(略)1960年代に米国で「第1次大戦は化学の戦い、第2次大戦は物理の戦いだったが、第3次大戦は数学で勝負が決まるだろう」と不穏なことをいう人もいたとある。
またコンピューター産業でも競争はハードウエアからソフトウエアに移りつつあるし、数学的アルゴリズムを特許で押さえることの是非が問われているといわれる。

経済学部では先述の微積分と線形代数は必要だと。また数学が必須でない文科の学生
は少々微積分・線形代数をやるより、数学史からF.クライン『高い立場からみた初等数学』、L.ホグベン『百万人の数学』、志賀浩二『数学が育っていく物語』、H.ワイル『シンメトリー』をすすめられる。

(筆者の独断だが、理学部(数学系に強い)の人は、法学部や経済学部の人が就く仕事の分野でも力を発揮できる筈だ。なぜなら、商法上の詐欺・手形犯罪、成りすましの詐欺や偽造など刑法上の様々な犯罪は、どのような法制度の違いで起きるか、使われる手口などもビッグデータの分析で分かれば、予防策が考えうる
ITだけでなく統計や確率など需要予測・企画・政策的な判断にも大きなアドバイザーになって貰えると感じている。)

チャレンジと横展開                             

異業種へのチャレンジか、新商品(業種)へのチャレンジか?
例えば水中ポンプを軽建機としてレンタル業界に販売するのと、異業種の土木現場での排水用に販売するのは相手が違う。しかし何れもB2Bで業務用ですから、最近はネットでの販売も可能になり、ユーザーが調べて見積もりを要求してくることもある。

これを家電品として一寸大きな家に住む人たちの地下室の排水の為に販売すると全く違った業種に売り込むことになる;いわゆるB2BからB2Cに変わると、売り方も修理サービスもまったく変わる。それでも商品を変えずに、売り先を変える方が楽だという考え方がある。

対象的なのは新商品を同じ業種に持ち込むかというチャレンジになる。
例えばレンタル業界へポンプとは違うペンキのスプレーを売る。違いはセールスマンが商品のエキスパートとして生きるか、顧客との人間関係で生きるかという違いで、会社の規模にもよるが、レップという代理店がどちらも扱う場合もある。それは販売コストがどちらが安く効率がよいかで決まる。

営業マンより戦略が得意な人

ドラッカー教授は、「会社の機能は基本的にはイノベーションかマーケッティングしかない」と云われたそうだが、戦略的な思考やクリエイティブな分野の得意な人は、マーケッティングである。
一般には同一商品を異業種にというチャレンジの方が、異なる商品を同じ業界に売るより効率がよい。新規の業界に参入し違った商品を売るのが一番打率が悪い。

つまり一般の米人が成功しやすい転業を順に並べると、
同一商品・地域拡大>異商品・同一業種・同一地域>新規商品・異業種の順に成功するといわれる。これは個人で何かにチャレンジする場合の考え方の参考になると思う。 そういう私も40代のはじめ、シカゴ郊外で日系消費者向けレンタル店をJVで始め『いらっしゃいませ』がスムーズに出てこず、自分はリーテールには向いていないと感じた経験がある。気持よくコミュニケートできる相手は、永年の付け合いで形成されるように感じる。

愚痴や悪口は自己不安から派生するように思われるから、それを体内に入れないためには、スポーツが役立つ。《愚痴や悪口、噂は弱者のシンボル》と考えて、よい方になることを祈ること。神仏を使うのは不遜だが、信じれば救われるためにおられる。私はそう考えるようにしている。

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