2014年4月23日水曜日

14088 価値観と生活者のギャップ

14088

価値観と生活者のギャップ

(国民の再編成は欲望か抑制か;自由か平等か;法治か利権か)

スコットランドが英国連邦から分離独立したいという。クリミア半島や東部ウクライナはロシア人が多数居住しているから、ロシアに併合されたいという。
日本ではどうかと見れば、在日とはいえ北(朝鮮)と南(韓国)は、これが同じ民族かというほど教育面などで違いがあると、大阪出身者はいう。そんな”外国人”を国内に放っておいてよいのだろうか。一定期間で帰国する外国人滞在者いがいは、キチンと憲法で定める日本人としての教育をすべきではないか。在日の身分を決めるのは日本国であるべきだ。

今「歴史の終わり」か、始まりなのか

フランシス・フクヤマ著(渡辺昇一訳)を12年ぶりに再読し「善きにつけ悪しきにつけ訓練を受けた守護者たちはいなくなり、多かれ少なかれ怒れる者たちだけが残った」の記述に共感した。

だが少数派の優越願望は多数派の対等願望に道をゆずったのかといえば、これは外れたように見える。すべてが、欲に置きかえられたかのような富の偏在が見える巨大国と、多数の失望が爆発寸前の新興巨大人口国の失業などが残されている。

これに対していかなる展望と対策があるのだろうか。

自由・人権・幸福の追求は見直されない?

自由については、経済活動の自由だけを採用し、ここ20年ほどは外資を呼び込み成功をおさめた中国も、すでに富の配分面で一部の私欲を許しすぎ、破綻しつつあるようにみえる。
なぜそういえるかといえば、発表されるGDPに比較し、かわらず設備投資(47%)が大きく、一般市民の消費額が横ばいで一向に増えないからである。設備投資は高層住宅でそれが入居者がいないゴーストタウン(鬼城)となり、シャドーバンクが破綻している。更に日本から進出した企業は、詐術をもって工場ごと収奪され、すでに3万社撤退したという意見発表もある。

EU諸国では「ありとキリギリス」のたとえ通りで、それぞれの国の財政や経済がバランスを欠きすぎて、継続があやうくみえる。自由圏のリーダー米国では自由経済の運営と継続の条件であった筈の独占禁止、社会保障費のなどでの法治をゆるめ、限界が感じられている。アジアの模範国の日本では、GDPの2倍の国債と、少子化で後継者不足からの経済の持続力への懸念も根強い。
難しい議論は学者にまかせ、庶民的はなにをどう考えればよいのであろうか。

欲の何が問題なのだろうか

憲法でいう自由・人権・幸福の追求にかかるコストが、市民がつかう生活費や、税として国や自治体により賄われるサービス費用であるとすれば、これが破綻しては、社会的に持続力に欠ける。
先に述べたがジニ係数でいえば、0.4以下に抑えないと社会が不安定になるのだ。

幸福を欲望だというならば、俗物的な定義だというそしりがあるかもしれない。

自由と人権のどこに限界があるのかに関しては、別の機会に考えることとし、ここでは権利と裏腹の責任、教育と法治の問題と単純化しておこう。

とりあえず自由と幸福を欲望に置き換えた極限は、何が待っているのかを、現在の社会問題と結びつけてみたい。この欲望の中味を見るのも無駄ではあるまい。

欲望と収入・費用項目
個人責任
変化要因
限界(指標)
安全
(防衛・治安)   
自己防衛
人口・経済偏差?
予算、危険の増大
睡眠・運動
(個体維持)
自己責任
生活習慣・
職種
時間不足・肥満・医療保険予算
雇用収入
(金・衣食住)
貯金・投資
雇用・自営
労働力不足、事務職の低効率
子孫維持(性・医療)
自己責任
経済力
熱意(忍耐)低下
教育・学習(社会維持・機能再生産)
学習・研究
塾・センター
競争力(意志力)低下
顕示欲・優越・自己表現(維持費・広告)
娯楽(余暇・定検)
意見発信
競技参加
芸術・演技
NPO、第3
セクター
海外競争力
過剰組織















これらを欲と呼ぶのには異論があるかも知れない。


破綻の始まりは何処にあるか


各家庭での生活習慣や経済力の差は、集団社会でその差を吸収する部分は会社の福利・厚生費、または行政の社会保障費でまかなう。シンプルに言えば年金か健保である。これが国の財政が赤字化する主な原因である。

なぜなら民主制の国では「市民への投票の動機付けか見返り」としての政治家の「ばら撒き政策が、財政を圧迫する赤字原因」、線引きの甘さが財政規律の甘さになる、民主主義の弱点である。

市民の欲で医療・介護費が増え、財政の赤字が幸福の追求の限界となり、それを是正する政策の実行力を持つか、物欲とは別な幸福の定義が求められていることを指摘したいのだ。

日本に限って独断をのべれば、人間のもつべき欲(性本能)が低下してはいないかという疑問があり、それは隣国との間断ない争いも1因であるなら、付け込みによるゆすりたかりを排除し、ポジティブに生きることに専念すべきではないか。


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