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在日の語る”歴史”は当時の住民の希望
(”住民の希望する生活”という立証できない過去とを比較)
崔洋一監督が主張する”歴史”を語る資格があるかないかの議論を聴いて、何と奢った人間かとあきれたのは私だけではなかろう。昨年の暮れのYouTubeが今頃配信されたのだが、海外なのでご容赦ねがいたい。多分日本では気にもしていない部分での非常な違和感を指摘しておきたい。
それは在日監督が『そんなことをいう人は歴史を語る資格はない』と発言した番組そのものの意図と議論に対してである。( https://www.youtube.com/watch?v=OagmUh_cjUE)
誰に対してであれ、こんな口封じな礼を失した人間は、米国では公開の場では退場させられるし、長生きできないだろう。在日というから元は半島人でありながら、日本の過去をここまで否定することで存在価値を発揮出来ると考えるのか、不思議に感じたのだ。
韓国という国が1948年以前にあったのか
学生の意見に対し、『そんなことをいう人間は歴史を語る資格がない』”と反対意見を押さえつける非礼を抑制しなかった司会者も,、米国では政治家の討論でもありえない。要するにこの人は、自分の都合のよい議論以外には耳をかたむける気はなく、他人が同じことをするのを、公に相手を侮辱する評価をしているのである。
大陸や半島人の慣習で、相手の議論を口数で強烈に圧迫しながら『私は抑圧しようとしていない』と否定し続けるのも、いつもの欺瞞の常套手段である。(更に”日韓の国民レベルでここまでの議論をしたことはなかった”という自賛の意見にも、奇異感を禁じえなかった。)
しかも、半島で自分の先祖は日本人になり、生活レベルの向上や経済面で親の受けた恩恵には目をつぶり、その子供達は治安面での規律を”非人道的な行為だった”と拡大誇張し、《ゆすりやタカリの道具にしている》。
その1部は祖国をでて日本に住んでいながら、日本人に対して、勝手な祖国の虚偽の歴史観を主張する。つまりは日本人になる気も無く日本の半島併合時の過去を否定しながら、日本に長居する情けなくも非礼な狼藉者に居直っている。これも復興だけに集中し、在日をキチンと日本人として法治で収めなかった結果であろう。
この私見には半島人には異論があるだろうが、1910年から1945年までの併合時のほうが、蒙古が支配していた600~800年前よりも、その後の満州族の清の配下となった李氏朝鮮の時期よりも遥かに恵まれた生活をできたと理解しているからである。それは人口の伸びにも明らかだ。
(ウイキペディアによれば;1805年に鄭東愈(정동유)という儒者の書いた『晝永編』によると、朝鮮に無いものが3つあって、それは羊と車と針だという。 針は衣類に穴が開くくらいの粗雑なものでしかなく、中国から買って来ていたという。李氏朝鮮時代には新しい農業技術が入り普及したが、中央集権化が極端に進んだ為に民衆からの収奪が激しくなり経済は疲弊して商業や工業は発展しなかった。)
(英国女性旅行家イザベラ・バードは清国、(他)ペルシャ、チベットを旅し、さらに1894年から1897年にかけ、4度にわたり末期の李氏朝鮮を訪れ、旅行記"Korea and Her Neighbours"(『朝鮮紀行』)を残している。)
李氏朝鮮は車道は限られ、ものは担いで徒歩で運ぶ国であり、車がなかったのは無理もないが、バード女史が述べるのはその余りの不潔さは人間の生活レベルではなかった。
バードは韓国併合以前の当時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであ り、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、
「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している。
恩恵を施されて、それを1000年の恨みとすりかえる訳は
そんな国へ大金を投じて近代化した日本に対し、崔氏はそれは35年間そこに住んでいた”住民の希望する生活”ではなかったという。(https://www.youtube.com/watch?v=rgj49
vPdUAs)
あたかも現在の価値観で『住民の希望する生活』というありもしななかった夢想の生活と比較して、当時の日本の統治は酷かったと主張しているに過ぎない。
”過去の事実”対”過去の住民の希望”という想像との比較、これが韓国人の”歴史”議論の論法、常套手段で、日本人は絶対巻き込まれてはならないのだ。
それはそれ以前の何百年も続いた王朝でもできなかった、ないものと比べるという無意味・理不尽な意見だ。言葉は悪いが、これはヤクザの因縁(ゆすり・たかりの条件)つくりと同類なのだ。
話しを現在に戻すと、在日の処遇は、居住地の日本と先祖の母国との忠誠心を何れとするかで、紛争の場合を考慮し、永住権の取り消しを含め旅行・居住の制限など、市民との処遇を変える必要が生じるのではないか。
70年前のことを謝罪するのは異常
学生の発言で残念だったのは、「併合したことでパルチザン(地下組織の反政府者)を虐殺したことは"申し訳なかった」という謝罪をしたことに対してである。反逆者は命を賭けているテロリストであり、それをどう裁くかは、当時の行政官の仕事である。それを70年後に、勝手に外交問題で謝るのは迷惑なことである。そろそろ、この訳もなくあやまる姿勢が諸悪の根源の半島人を付け込ませているのだと理解して欲しいのだ。
米国であれば親の犯罪でも、子供は責任をもてないし、日本も家族連座の罪の時代ではない。うっかり謝れば迷惑する日本人が海外にでるかも知れないのだ。70年後になぜ簡単に謝れると考えるのか、全く世界の常識からは妥当ではないのだ。
そもそも事実を羅列して、それだったからどうなんだという観点からみれば、両国民の歴史は全く違っていて当たり前だし、それを語り合って、何かの合意は形成されるものでもない。
その前に、戦前の日本の民間企業が置いて来た資産の弁済せよという議論があってしかるべきである。
既に書いたが、売春婦(慰安婦という言葉にすり換えているが)には、月に240万円(*)までの給与が払われていたという米軍の尋問証拠があるのだから、それが如何に巨額の稼ぎかを今の韓国人に考えさせてはいかがか。(*当時の300円の現在換算)
相手を子供だと見下そうとする”大人の議論”という儒教的態度は、万人が平等に参加する民主主義の意見交換とは合わないし、相手が若輩とみれば、傘にかかって横柄で無礼な言葉使いをする点でも、現在の公開の場での討論のマナーには相容れず全く賛成できない。米国でも同じような問題が起きるが、韓国人をさける風潮は、この礼儀のなさと、自分の都合のわるいことは、相手を圧倒しようと相手の発言中に口を挟む非礼にである。
むろんこうしたルール違反は、事前に出席者にルールを納得させ、同意を取り付けていない運営側にも問題がある。
- 発言者が発言中に、横槍をいれないこと。
- 非礼な出席者は、運営側の判断で退場を要求します。(警備員をおき強制排除します)
- 過去のことを話す場合は、事実(引用できる根拠による)に関し、現在の価値観で批評する場合、その価値観は日本の価値観に沿ったものを優先します。(この議題については国際ルールがない場合は、開催国は日本のルールとします。)
- 参加者は社会的地位、年齢に関係なく、対等・平等・公平に扱われる。 賛同した参加者は署名し記録に残す。
現在の人間が過去のことを謝罪する必要はなく有害である
自分がやったことでもない70年も前の過去のことの謝罪を求めるのは、因縁をつけるヤクザのたかりの常套手段であるから、
1.まず住民が言うことが事実であることを証明せよ、その上で、
2.住民の被害と、それをなぜ第3者が払わねばならないかの因果関係を立証せよ、
3.当時半島にあった唯一の統治政治体は大日本帝国であるから、現在の半島の国家でもなく、半島の住民でもないが、当時の権利義務を今の住民が継承していることを立証せよ。
それまでは、住民は日本とは利害相反する人間だから、交流をやめると宣言すればよいのだ。
ましてや領土紛争国であれば、準敵国扱いでもしかるべきであろう。
和平条約以降は戦犯はいないという指摘
死ぬのを覚悟して、負けると分かった戦に死にに行った特攻隊兵士がいた。それに手を合わせるのは個人の自由である。唯一光ったのは橋下氏の『サンフランシスコ講和条約以降は、対外的には戦犯も戦争賠償も終る』という指摘は、靖国の位置づけとして、新しい指摘であった。
それにしても、金美齢さんもそうだが、台湾の方は、論旨が一貫している。なぜ韓国は論理性がないのか、その点では上下関係を気にする点でも、情に流され感情的になる日本と似ているなと感じる。ジャーナリストも人の子と逃げるだろうが、今の打算・損得の人間関係を優先しすぎていないだろうか。韓国系在日を討論に呼ぶときは、日本人は全部年上のゲストを呼ぶべきだ。すこしはまともな言葉使いをするようだから。また、同様な討論を韓国でも行うべきであろう。
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