2013年9月10日火曜日

13903教育で教えすぎていないか、変わる未来(60)


13903改1

教育で教えすぎていないか、教育で変わる未来(60)


各人が将来、自分に一番適した職種というものがあるとすれば、それに必要でない科目は教養とよべるかも知れないが、逆に不要なハードルかもしれないのだ。事例をあげて考えてみたい。

(1)教育革命?;教育か好奇心か

教わらずにパソコンを使える文盲の子供たち

OLPC(子供にパソコン1台を)という機関は、7年間で250万台の100ドル以下の安いパソコンを世界の子供たちに配布してきた。
エチオピアでも5千台のパソコンが配布されることになり、従来は使い方を教える指導員をつけて配ってきたが、世界には学校もなく教師の予算も人材もいない文盲の土地に生活する多数の人たちがいる。                   

子供は教えなければ学べないか〉に疑問をもった創設者のN.ネグロポンテ氏いわく、『エチオピアの片田舎で電気も学校もなく、親も子も完全に文盲という村にタブレットPCにゲーム、会話する本、マンガ、映画などをすべて英語で数百のアプリを搭載しソーラー充電器つきで、箱もあけず使い方も教えず配った。シムを毎週取り替えないと作動しないシステムにし、そのシムで各人の使い方が覗ける仕掛けがあるものだ。』

『その結果、子供たちはすぐに箱を開いていじり始め、5日後には1人平均で毎日47のアプリを使い、英語のABCの歌を唄い、2週目にはゲームで遊び始めた』。
驚くのは子供たちがそれぞれ別なアプリを開き、お互いに教え始めていることで、学ぶ好奇心をどう助ければ、教える形はどう変わるのかが注目される。子供たちが使えるスクイーク(Sqeak)という初心者用の(英語)言語でプログラムを書いてある。  

個々に気の合う子供のネットワーク、目標をもつ小グループになるそうだが、従来の教育の形は大きく変わるのだろうか。議論されているのは、ひょっとして我々は子供に教えすぎてはいないか。自ら発見する喜びを奪っていないか。教育の形が変わる予兆がある。

だが学ぶ好奇心だけで英語を教える必要はなくなるのかへの回答は未だでていない。先述したが、日本でも安いパソコンを子供全員に配り、勝手に使わせたたら面白いだろう。

すでに日本の女子大でも、学生はグループで学び始めたところもあるようで、これから大きな変化がありそうだ。www.英語記事

(2)教育での需要と供給のギャップ

私の創業した会社の1つには、毎年日本からインターンの学生がシカゴにやってくる。ここ数年で通算400名ほどになる(改1*)。
今年はフィリッピン経由、イギリス経由、モンタナ経由などで多様化している。学部も法律・経済・工学部など、私立・国立大学からきて1週間、1~3ヶ月弊社の事務やリサーチの仕事を手伝い、企業訪問し、業界別の展示会や講演会に参加し、時間をみて筆者も自分の経験や失敗談を語る。(*2015年の数字)
余りに数が増えたから、学校でも始めた方がよいかも知れない。

寡黙でこつこつ自分の好きなことを勉強して帰る人、意見を聞きに来る人に混じって、少し滞在すると、自分の意見を言える人も増えてきた。こうした若者との会話は、世代のギャップを超えて考え方の理解に役立ち、新たなビジネスチャンスがあるのを実感できる。

日本の文系の教育は、昔から教育と職場とのギャップが大きいが、米国ではもっと職種と教育が近く関連している。学生は大会社のサラリーマンが夢というよりは、できれば起業したいという夢を持つ人が増えたのは間違いない。
そのためか、大学生も就職する前から、事務職のバイト経験者も多く、会社の仕事がある程度分かっている。日本の教師は兼業をできず職場経験者が少ないから、具体的な仕事を学びたいというのもインターンの来る理由だろうと思う。

一律均等な教育では足りない
3歳ぐらいから、親のすすめるスポーツ、音楽などを修練した1部の人を除けば、殆どの体育系スポーツは趣味の世界で、憲法で約束する一律平等な教育では、今の時代飯を食べて行くには不十分である。時代が大きく変わって、スマホやアイパッドの時代には、文系の会社業務のレベルも、世界レベルに引き上げる必要性を痛感する。

そのためには教育も英数国、理科、社会くらいは、将来プロとして何をやるにしても不可欠である。その意味で、一律均等な教育では足りない。日米での1番の違いは、日本の「教える(覚える)教育」か、意見発表しながら「考える教育」かの違いと見える。
つまり記憶と理解の小学教育は世界規準に達しているというが、考えを形成する中等からの教育はガクンと遅れている。そういう受験そのものの意味が少ないのだ。

記憶塾はへり、短大か4年制の一部になり、プロの各分野にすすむ必須科目を学ぶ補うようになるだろう。文系でも統計・確率は経営者・コンサルタント・政策の選択肢と経済効果予測などにも、不可欠だろう。

日本の会社で弱いマーケッティングは商品戦略・市場調査・などで各社に不可欠になり、人事は人材トレーニングと引き抜き、余剰人材のアウトポスティングにと暫くは、人材の流動性の支援機能がふえる気がする。東北被災時の携帯の使われたビッグデータから、分析の仕方で住民数など、実態に沿ったデータの用途が広がりそうだ。

インターンの学生達のとの会話では、何が好きで自分に向いているかもわからない。職業と仕事内容を知らないため、科目と職種の関連もわからない。つまりはやりたい事を選ぶ目的のために重点的に学ぶよりは、”優の数を集めて総合点で”よい会社"を目指す職場選びも40年と変わらない。これは入試テストの比重が大きすぎるからである。

言えることは記憶力、理解力とが重要な職種と、データ分析など考えるのが大事な仕事は分かれるだろうし、適正分野を見つけやすい教育というものが重要になってくるのだ

早い者勝ちか
基礎教育については幾つかのことが分かって来ている。
1つは、ゼロ才から3才くらいで、親の会話を聞き単語の数が多い会話の環境に育った子供の方が、遥かに沢山の言葉を覚える。だから、多数の言葉を使った会話が幼いうちから学べることが重要だということである。
これにはコンピュータ用語(英語)も含まれるから、小学校に入るころからディジタル機器がどういうプログラムで動いているかを学べて、自分でプログラムできる方が判りやすいし、ディジタル分野で優位に立てる。英語を早くから学ばせるのはIT産業の将来にも不可欠である。

学校は学ぶためのハードル(障害)かチャンスか
学校が言葉を身につけ、それにもとづいた一定の知識を学ぶのに最適なシステムかという点で最近は疑問が聞こえている。なぜならば、教師となる専門教育や訓練を受けた人たちが、他の職業での経験がないと、何千もある職種の仕事の内容に詳しいわけでは無いからである。
つまり教える側も、どの計算はどの職種に不可欠かが分かっていると教えやすい。教育省と雇用省とがあったとして、それが連携していれば、どのような教育を受けた人の失業トレンドが高いか低いかが分かり、子供たちの目の色も変わってくるように思う。


0 件のコメント:

コメントを投稿