2013年5月17日金曜日

13502夢のもてる社会;仕事と生活時間の切り分け 【002】

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夢のもてる社会;仕事と生活時間の切り分け 【002】

社会人になった途端に、だれもが会社人間や役所人間になってしまい、1年もしないで社内とその関係先の人としか付きあう暇がない。自分は本当は何をしたいのか、どうせなら力一杯に得意なことをして生きるという点が忘れられてしまう。どうすれば自立して生きてゆけるかを考えてみたい。

社会人にならない会社人間ではだめ?   

オリックスのM・ロバートソン氏は「アメリカ人は社会の中で生きていて、そこから会社という業界に入って働くが、日本人は会社が社会と考えてそこで生活している。だから赤提灯の付き合いを求めるのだ」という。社会人にならずに会社人間や官庁人間になってしまうと、地元コミュニティーや学校関係などでのソーシャルライフが失われるという。
 
米国ではお金を払うか稼ぐかの契約関係があるものは仕事であり、社会生活ではない。ところが日本では「社会」があいまいで、学生には大学という社会があり、就職すれば”社会人”になると考える。

学校というのは教師の職場であり、そこで授業を受ける権利を買って勉強するという考えかたもできる。川勝平太氏(静岡県知事)の”就業中の経済活動などの場が下部構造で、政治や文化などが上部構造”という分類も参考にして分けてみたい。

田舎の生活は、各人が子育てをするなかでの地元の人たちの生活の場が社会である。自治活動や育児を通じての触れあいや体験、世代の違う人たちとの付きあいは生活の一部だ。
ところが少し都会になると、これが専業主婦の仕事に含まれ、亭主は同年代の大学のサークルや職場の仲間、取引先などの付き合いになる。そのため子供にわかるような生活を通しての具体例から離れてしまい、子育てでも親子での会話や社会体験やスポーツ参加などは米人に比べたら少ない。   

会社だけが社会であっては、生活の場がないから、自立も独立もできないことを気づくのが遅れるのだ。私は40歳になる直前に商社を退職し、シカゴの自宅のアパートの居間で創業した。だが半年間は仕事を終わっても帰る場所がないことを痛感した(後にアパート屋上の倉庫の1室を借りて改装し事務所にした)。自分がオーナーの会社であっても、会社という契約環境に住みついたら24時間拘束された会社人間になってしまい、何らかの売り買いがある金銭関係に縛られ、開放されない。

その良い例が国際電話である。時差があろうとお構いない。いや多くは勘違いでこちらがくつろぐ時間にかかってくる。これをある程度キチンと切りわけないと頭も切りかわらない。携帯などもその類で、プライバシー放棄になるから、出来るだけ使わない。

図に示す契約人・職場による自分の時間への侵食を、力をこめて押し戻し、社会人の部分を12時間以上に回復できないと、通勤と睡眠の時間しか残らない。
カントが言う《意志がつねに利益や欲望により規定されている(他律の)ものは、自律ではないから自由ではありえない》のだ。   

国際社会の理屈や契約・論理による建前が、社会人としての自分の生活のすべてに侵入してしまうと、個人の価値観も育たず、健全な社会参加もできないのだ。私の父が若い時代(1935~45年代
)M航空技術社から来たドイツ人と同居していても、サッサと5時を過ぎると仕事を止め退社するのに驚いたと言っていた。
『戦時中でもか』と聞いたら、
『この戦争はヒットラーの戦争で、自分は関係ない』のだそうだ。
(50年近く未だに覚えている)。
 
私の経験では仕事に関連したことがらでも、残業での仕事で新しいことを思いつくことはまずない。自分の趣味で余暇に勝手に長期的に考えたことの方が、遥かに創造的だと気がついた。つまり、残業で価値が上がるような日当稼ぎのような仕事の仕方をしては駄目なのだ。このような習慣を防ぐには仕事の中で赤提灯の情の関係をひろげるよりは、なるべく残業時間をけずり、情の社会での生活は就業外とわりきる方がよいことになる。
 
少しオーバーにいえば、大部分の人たちが起床時間の100パーセントを生活の糧をうるために働かねばならない社会では、起きている間じゅう食べ物を探している動物とかわらない。イノベーションと皆がいうが、業務の延長でない形で、考えることが自立の第一歩で大事だと思う。   

1 件のコメント:

  1. 子供の世話がなくなり、夫婦2人で大学院生のような生活をしています。私はもし結婚していなかったら、きっと研究室に寝泊まりする生活をしていたでしょう。そういう意味で、結婚により、私は仕事と生活時間の切り分けを行うことができるようになりました。

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