2013年5月22日水曜日

13507 身分社会から自立社会へ【007】

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身分社会から自立社会へ【007】

米国と日本の生活の違いといえば、こちらでは事件が起こったという事実のニュースだけで終わらない。『知っています。聞きました』という小学校の低学年レベルでなく、中学生くらいになれば、起ったことに対してどう考えるか、何をすべきだと思うかを賛成派と反対派が意見を述べる。だから子供でもかなりな意見をいえる。
ニュースを報道するキャスターはどこまでは合法かを知った上で意見を述べるが、私見が入ると、局は会社を代表する意見ではないと断りをいれる。

日本では終身雇用のためか、契約責任が曖昧なため報道管制が利き易いのではないか。どの局も見出しだけで中身のないものばかりだ。結局ネットでのYouTubeやツイッターの方が、嘘や誘導記事もあるが、遥かに事実に近い意見が聞け中味が濃いから、メディアを見るのは老人と子供ばかりになるだろう。世界の中の日本という視点の欠ける埋め合わせか、外国の旅と食べ物の報道ばかり。中味の意見がないものは廃れるだろう。

米国の学校の教師の仕事も似て非なるもので、教科書にある《事実》を理解して覚えさせるのではなく、大勢の生徒の考えの中で、如何に他の人たちに賛同を得られるユニークな考えを発表できるかである。そう考えると日本の教育は、これから社会で自立していける能力を身につけさせるのに役立っているか改良点がある。

 ①会社人間にならないために

日本人は同業者との付きあいはするが、業種が違えば《関係ない》と興味を失う人が多いが、視野もせまいままである。米人に限らないが、米人はどんな職種の人でも、異業種がいつかは自分の業種をぶち壊すか、道を拓いてくれるかもしれないと考えるように見える。そこで共通話題をみつけて一時的にしろ会話しようとするのだ。

ときに外部の人たちと交流し、少し大げさだが《今の仕事は人類の進歩に役立っているだろうか》という視点で見直したほうが良い。                    
衰退業種にいながら、今の仕事の延命のためだけに働いていないか。業界全体のボートが滝つぼに向かうのを気付かず、必死で漕いではいないだろうか。
すでに日本は世界の最先端までたどりついたのだから、これからのトレンドを知るにも米国の最先端を知り、それより前にでる気持ちがないとメーカーも苦しくなる。    

個人としても社会での別な視点や切り口がないと立体感が欠けてしまう。なかなかモノが見えず決められないものが判断できず決められない人が千人集まっても《反対!》は言えても、ものは決められない。全員が同じ物を作っているような村は、聞いただけで財政的に危険な村だと考えるのが米人である。『その1つがコケたらどうする気か?』と。

皆さんが賛成したと言っても、反対者もいて議論して納得したならよいが、中味を議論もせず、《賛同して下さい》の1点ばりで仕方なくというのは脆い社会である。納得した支援ではないからだ。多様な考え方があり、そのどれかが起った時も、それを考えている人の助けで危機は脱するのだ。ひとり1人が違っていてよい社会でないと、新しいことは出てこない。 

 ②コマ切れな短期情報より分析と判断力 

今の若者はインターネットからの知識と社会人ネットをもつが、情報というよりは携帯での賞味期限の短い「彼は今どこ」というような個人の動静情報が多いのではないかと心配だ。超短期情報は小さなレンズの望遠鏡をのぞいた雲の流れの情報で、それでは天気を予測しても当らない。人のいうことを聞いてあるいても、確信をもてる答えは得られないと思った方がよい。せめて数人の意見をきくこと、自分とは違う風上や風下の情報がいるのだ。

知識はストーリーとして理解する;
人は対面してジックリ話を聞くことなしでは本音の意見は聞けないし、ストーリーになった考えかたの背景も理解できないと、お天気と同じで直ぐ忘れてしまう。グーグル情報では歴史の断片はわかっても、一寸聞きたい質問をすると何も知らないのでは、相手もそれ以上は深い答えはくれない。

社会人としてのコミュニケーションは、視野を広げ長期トレンドを考える上で欠かせないと思う。それぞれの長所・得意分野、将来の夢や方向などを知らなければ、その長所をお互いが生かせない。昔は菓子折りをもって先輩を訪ね教わったものだ。 

3年先や5年先の将来を見通したいと思えば、データにたより分析し理由を考えるしかない。米人がランチで交換するのはそうした情報が多いから、社外秘は別だが相手ののぞむ情報を提供できればよいから、ランチくらいなら『接待かな!』と身構えたり警戒する必要はなく、こちらも相手にお返しして知りたいことを聞ければ長続きする友人になれる。 

携帯とネットであらゆる情報や知識が身近に手に入る時代だから、これからは一寸何かを知っているということは余り武器にはならないだろう。仏国リーダーだったジャック・アタリによれば『人間の知識は7年で倍増し、2030年には72日ごとに倍増する』という(『21世紀の歴史』七章)
しかし、小さな字引しかない子供と、厚さ20センチの大辞典をもっている子と、どちらが物知りか、答えは難しい。何でもグーグルに答えがあるというが、それは知っていることとは違うから、近代史くらいは読んでおかないと会話にならない。

問題は『貴方はどう考えるの?』に答えられるかで、“その他大勢”の中から1歩抜け出せる。短期投資家などは例外としても、なぜか?の命題に、やはり直感力、分析力、判断力、決断力、それと直接に人と話ができ相手を納得させる論理や、リーダーなら話術が欠かせないだろう。

時間は作るもの;
仕事が余りにも細分化されていて、しかも短期情報があふれるばあい、週末の半日くらいは自分の時間をつくり、枝葉と幹とをわけ、情報や商品をストーリーとしてとらえ、その発生した理由を理解するまで、ゆったりと全体の流れや機能を考える必要がある。これが出来るようになれば、どこに所属するかではない自立ができる。するとどの仕事が面白そうか、どうすれば自分の得意分野でやりがいと収入(節税)を得られるかも見えてくるし、流れがどこに向かっているかも分る。

こういう私も気づくまでは米国での30代は貿易戦士の気持で会社に住みついていて、毎晩家には様子を見に帰るだけという倒錯があったと思う。そんな時間が無いという若者がいる。そこで『土日に半日の時間が作れないなら、月曜の夜は自分の時間ときめ、必ず何かの調査に当ててはどうか。例えばiPS細胞の将来性と事業規模などは、余り役立つデータがなければ、確信をもって予測できる人は僅かなはずで、それを研究するのも役立つに違いない。そういう個人研究を色々な分野でやっていれば、必ず役立つとお勧めしたいのだ。これは人の書いた本を読むのと違い、頭にのこる。

同じ物を食べ同じ場所で働き、同じ情報をえていながら、新しい発想を得ようとしても無理である。社内外の競争から離れ、外からみた業界からの視点や異業種の中での自分の立ち位置をながめるのだ。
その視点が、自分の考えを持つためにも自立するにも欠かせないことに気づく。携帯で繋がっているのは殆ど時間の無駄、『若者よ、午後3時から9時まで以外は携帯を切って生活したら』と言いたい。 

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