2013年5月25日土曜日

13511ソフトの面では低学年から【010】(運用はミスを想定したやり方で) -(1)-

13511

ソフトの面では低学年から【010】


ディジタル時代は試行錯誤の時代
ディジタル時代になってどこが大きく変わったのかを具体例から考えてみたい。アニメ、ビデオゲーム、携帯で育った世代の人たちとのコミュニケーションが難しいのは、思考がネット化し画像化しているからで、ディジタル以前の世代との考え方や行動に大きな違いがある。

ディジタル教育は小学生から

英国人の15歳の少年が起業して、17歳でSummlyというスマホ用のアプリを開発し、これをヤフーが30億円相当で買収したという。父親は投資会社に勤務し、母親は弁護士というからビルゲーツの育った起業向きの環境があったようだ。2年まえディスラプターという3Dプリンターの試作品を創る会社を創立した米国の少年は今20歳である。

何が言いたいかといえば、IT分野の技術開発者は、早いスタートを切らないと世界のレベルに間に合わない気がする。小学生でパソコンを使いこなし中学ではプログラミングを学んでいたと思われるからだ。試行錯誤には幼少からやるほうが向いている。 
      
OLPCというNPOがエチオピアの文盲の子供にしたように日本も小学生にパソコンを配り、中学生のころからプログラミングを教え、興味のある子供には起業環境を整える必要がある。よいアイディアには起業弁護士と、よい指導者、投資家がつくこともプラスである。

ディジタルは個別の正確性を求めない?

携帯電話をもたずに日本に行き、ディジタル世代と約束をするとアナログ族の私は大いに戸惑う。ディジタル世代は「今どこ?それなら」と場所も変更できる。変更のワケは問わず、人数が多くても各自の都合で三々五々に集まり、都合で散ってゆく。何とも自在な柔軟さがある。皆が携帯を持ちマップがあることも共通している。

誤差やミスは携帯で補っている。このディジタル族は文書にしにくいのが弱点だが、行動的な体育会系にはぴったりかもしれない。ジェームズ・ボンド映画のスパイ網のようで、お互いの連絡網さえ確かなら、非常に壊れにくいネットワークである。

似て非なる例だが、ミクロン単位の超精密な部品を数個作って組み立てるには、それを構成する部品も超精密につくる必要があると考えるのがアナログ族である。個々の部品をミクロン単位の精度で作るには、金属の場合成形で造っても切削で作っても、あとで磨いて虹色(10~20ミクロン)になる鏡面ほどに仕上げないと精度がでない(私の経験はホログラムの原版ていどですが

何でも正確でなくてもよい

ところがディジタル族は、組み上げた全体寸法の精度がでてミクロン単位に納まっていれば、総てをミクロン単位に仕上げなくても良いと考えるように見える。こう考えるだけで、最後の1個をのぞき、各部品は精密でなくてすむから、コストダウンになる。

問題はその内の1つが壊れて取り替える場合で、どの一つが壊れたか分からないと全体の精度は変わるから、全体を使い捨てにするしかない場合が多い。ハードドライブなども同じで、100ドル+のハードより中の情報を回収するコストの方が遥かに大きくなる。

日本は長年メカ(機械)的なすり合わせ技術で製造してきたが、量産ではディジタル化で技能のない人でも造れる方向に移っているが、どう優位さを保てるか。パソコンソフトが良い例だが、売り出すときは90%完成(想定外10%)で保証もない。機械類なら不良品(バグ)といわれる物を安く売りだし、バージョンアップで改良を続けるやり方だ。

殊に最近の日本の政治が低迷し評価が低い。公式な発言は文書をよむのもよいが、報道への発表などは合意書や契約書ではないから、少々のミスがあっても分りやすい方が理解されやすい。言葉尻をとらえて失言だとか騒ぐが、殆どがどうでもよいことである。

予定通りに実行されて、結果の達成はどうなったかは誰も追跡し計測していないことも多い。結果がどうでもよいなら、なぜ企画段階だけ騒ぐのだろう。計画書の文言だけ正確にする意味は少ない。重要なのは実行の結果の達成率の評価であり、それが民間の考え方である。税金をつかって議会で品質管理をするというなら、与党を責める野党の評価を高めるためでなく、税の使われ方を改善するための評価にすべきであろう。

見落としを許すソフト社会に日本は対応しきれていない

例えれば国民保険を創りながら、国民全体に共通の個人番号を作らないでどうやって全体の数字と個人の出入金を管理するのか。まるで顧客コードなして売り掛け金や買掛金を管理しようとするようなものだ。
先進国の契約社会と貿易や投資しながら、契約での例外規定を事前に考えることを避け、問題が起きてから処理する人治主義に秋波をおくる学者や行政。直感・行動に頼るが推論や倫理を避ける。アプリは作るがOS(基本ソフト)は造ろうとしないように感じる。

《絶対安全》などというものはこの世にはない。あるとすれば、それは2重・3重の予防とたゆみない訓練や努力があるもの、例えば新幹線の安全性である。
しかし起こると困ることは必ず起こる、と考えるべきだろう。発生する確率がわかれば、その規模による損害額の予想もでき、マネージできる範囲かもわかるから、準備金の積み立てもでき、他の選択肢との比較もできる。

0 件のコメント:

コメントを投稿