2013年5月19日日曜日

13504 《会社は大きければ安泰》という神話  【004】


 13504

《会社は大きければ安泰》という神話 

 大手家電メーカーが本社の7000人を、数百人にへらした。むろん大企業のリストラは珍しいことではない。当然ながら、大会社に就職するということは(できれば自分の希望に近い)会社の決めた仕事をすることである。学校と同様に嫌いな仕事でも一応器用にこなし、《良くできる》という評価をえる場に居つづけることになる。
つまりは人の作った道(階段)をのぼり続ける人生である。折角マーケティングを勉強したとしても、経理や総務に配属されることもあり、製品や会社の競争戦略・戦術をつくる部分は間接的に関与するだけで終わる人も多い。
                     
 商品には寿命がある     
 外国品を排除できて国内市場を守りきれればいいが、資源を買うには輸出は欠かせないし、出せば入ってくる韓国・中国の安い商品も止められない。いや正確には日本メーカーが海外工場で造った部品や完成品、いわば混血品も入ってくる。

大会社は高給で安定しているというのは、半分は事実だが世間の思い込みの部分も大きい。「ただし、担当する製品が時代の波に乗っている間だけである。        1950年代は三白景気といわれたパルプ・セメント・肥料がもてはやされ、黒いダイヤといわれた石炭も石油におきかえられ、炭鉱は次々と閉鎖された。         6、70年代には家電の白モノ(洗濯機、TV,冷蔵庫など)に王座を譲り、次は自動車が成長してきた。バブルのあと90年代には一番安定していた銀行が大きくリストラし、更にパソコンとソフトが急成長、2000年からはネット社会というように栄枯盛衰がくり返され、働く個人の評価も変わる。  
by t.kawata



 大会社でも、それぞれの商品事業部は需要の大きなうねりと、商品の流行り、すたれの波のなかにあり各社はシェア争いの中で、会社全体の売上げ合計が下がらないよう新商品を加えている。

 良くみると、商社などは成績順などでその時の花形業種から配属されるが、あとから考えると、いまピークにある業種は数年をまたずに下降し始め、他の業種がスターになる。どれが残るかは、運というか技術+経済性といえる。





グラフで示すテレビではブラウン管、プラズマ、液晶などへの変化があった(ベル型グラフは売上げの推移によく使われるが、商品や業種で形はちがう)。      1つの商品事業部や工場が閉鎖されれば社内異動がある。メーカーなら工場ごと米国やアジアに移ることも珍しくない。これらは、転職と変わらない。

 生活必需品は使われ続けるが、変化の少いものは安い新興国品におきかえられ、日本もそうやって米国市場を押し分けて入ってゆき、輸出から部分製造へ、さらに現地組み立てや製造と変化した。熾烈な競争の中で攻める側にいたので、守る側の苦悩は気にせずにいたのだ。海外での価格競争にも勝つためには、安い労賃の国で作るのも仕方がない。競争を否定する反グローバリゼーションの鎖国政策をとれば世界で孤立してしまうからだ。


 大会社に入ってもいま絶好調の商品が40年先の定年まで安泰などはありえないと考えた方がよいその流れに逆らって長い残業をつづけるより、自分の将来はどうなるかも考えて、伸びている産業や業種を注目し、今担当する製品との違いを学ぶことだ年功序列で技術者がリストラされ、中国や韓国の日本支店や工場が人材スカウトの窓口になり、油の乗り切った技能者を連れてゆく。   

国内で仕事をしたいが、中途採用をはばむ「和の国」の雇用慣習があり、受け入れ会社の職場のボスはよほど度量のある人でもないと、よそ者を拒否する傾向がある。これは年功序列の弊害だ。結局その技能が韓国や中国で使われて自社の製品のシェアーを奪い、商品寿命の終末を早める。技能者を守ることと年功序列や和の慣習が両立しない時代にきている。  


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