2013年5月20日月曜日

13505自分から世の中を変えてみよう 【005】

(13505)
自分から世の中を変える

(A)まずほめる 
この話題はシカゴで私的な会でお話ししてきたのだが、最近の日本では人間関係がサラリとして深入りしないから見逃されているが大切なことだと思うので、僭越ながら大書しておきたい。それは社内でも起業するのにも、外国人との関係でも役立つはずだと思う。

米国社会ではあたり前の仕事をした人にも、《サンキュー》といえない人には上司は勤まらない特になにか普段と違ったプロジェクトをやり遂げたとき、
『皆さんのお蔭で完成できた。心から礼を言いたい』とハッキリいう。
『こういうご時世だから、私のポケットマネーでピザパーティーをやろう』。                   これだけで心は伝わる。もし個別にその1人1人が、具体的に何にどう貢献してくれたかを相手の目を真っ直ぐ見ていえたら、相手の心に響くだろう。欠点と思うことは、個室がいい。

(B)言うべきことはキチンと言う 
《こんなところでウッカリ褒めたら、昇給を要求されるかも知れないな》というのは競争社会からくるのだが、こうしたセコイ考え方そのものがプラスにならない。大企業人の本音は多く場合『しかし、君は惜しいことにOOが少し足りなかったね』と一言いわないと気がすまない。本人が云うなら反省だが、大勢の前でこちらが云えば批判なのだ。

《給料をもらって当たり前のことをしているだけだろ?》 これは個室によんで個人面談でボスとして『更に欲をいえば、OOができるように努力してくれ』と改善点としてきちんと要求するべき言葉である。皆の前では『こんな並みの月給なのに、物凄く頑張ってくれて、、』『ありがたい事だ。私はこんな皆さんと一緒に仕事ができて、幸せな人間だろう』といえたら、どうだろう。米人はそういう人のためには心を込めて働く。

実は私も上司としては失格だったなと、10社も創業したり経営参加した途中から気づき反省し改善したのだが、なぜそんな簡単なことが分らないのだろうか。できないのか?
独立して暫くたって分ったのだが、学生時代、大会社のサラリーマン時代を通して、現場での人使いの苦労も、ほめた経験も少なすぎ、若い頃からリーダーとしての教育や訓練が不足していたのだ。
チームスポーツの良い点は、そこが分っている。まずは声をかけあい各自の場所を知らせ協力しあうが、打たれ強いし《ナイスショット》と言われるから元気が出るのだ。

(C)努力が足りないと褒められても喜べない
今の日本では他人から褒められても助言をうけても、素直に喜べない人が多い。「次に批判がくるゾ」と感じて先回りして予防線をはり、はぐらかしたり茶化したりして自己防衛する技に長けている人がかなり見受けられる。その裏返しで人の欠点を見つけるのは絶妙にうまい。
善意でしても動機を疑うというが、メンツにこだわっていてはせっかくの忠告を聞き逃すことになる。人にケチをつけたり批判すれば、『これではイケナイ。まじめにやろう』と思うならそれもいい。しかし、嫌気がさしてやる気をなくす人も多いだろう。忠告には『ありがとう』と感謝する度量をもつストレートな生き方のほうが自分も向上するのだ。

まずはカネではなく心を運び、意識して長所に注目しほめる社会に変えていく努力をするだけでも、日本中がかなり元気づくのではないか。褒めることがなくても、「皆さん頑張っているな」と言う事くらいできるはずだ。できないのは、あら探しが多すぎ〈やって当たり前〉で、感謝の心が足りないからだと思う。私も30代には米人とよく衝突したものだが、貿易戦士という気概はいいが、ぶつかるだけでは結果がでない。
後の仲直りをスマートにやれば親友になれるが、叩きすぎれは喧嘩わかれである。べたべた群れるよりはマシだが加減が難しく、米人にやってもらい学んで慣れるしかない。
よく言われる海外での日本人管理職の人使いのマズさは、『イーコール・パートナーとしての対等契約者の意識が足りず、金を払う方は相手を同じような奉公人だと見下している』と聞こえる。偉そうにするのは、管理能力がなく、やってはいけないことをリストして、やったら減俸という厳しさにかけるから、、、。ただ、イリーガルなことは絶対許さないと、時々ハッキリ明言しよう。

元気のでる人間関係
 ほめることの重要さはいくつかある。その第一として人のやっていることに注目するのは、その欠点より長所をみる方に重点がある注目され期待されれば、人は光り始める
逆にミスや欠点の無いようにというやり方では、前例どおりで転ばないだけの《それでどうした》というケースが多い。他人と差別化できるだけの長所も少なくプロにはなれない。OX式の一番の欠点だが、選んでいるから比較できると勘違いしているが、暗記したものから選んでいても自分の頭で考えていない《似たもの探し》なのだ。

 幼児のころのほめて励ますことと、中学生とではほめ方が変わる。ほめても甘やかさないためには、節目ごとにほめる目標を高くしないと《ほめられて当たり前》な高慢ちきな人間や、《ほめられるためにやる》打算的な人間になってしまうからだ。

 製造業の付加価値が高いことで、もの造りの《欠点の改善》が強調されすぎ(それで日本は品質ナンバーワンを達成したわけだが)、社会全体では、人のやることに注目し長所をみる能力が足りないように感じる。                       その最たるものが政治家で、相手を名指しで非難したり、自分ができもしないことで相手を批判したりで、こんな《議論のための議論》で国民の税金を無駄ずかいし続けてもらっていいのかと感じる。国際的な経済の枠組みの中で生きるのだから、1度や2度くらいは海外生活をして異文化の人たちと仕事をする方が、国内でも仕事が理解しやすくなる。

『米韓FTA合意、対米輸出・日本に打撃』というのは、日本が製造業か米の輸入規制かの優先順位をつけられず、起ったことである。食糧も確かに大事だがGDPの1.5%で、そこに5%以上の人材が投入されていたら黒字化は至難である。自分ではFTAは参加したくないが、隣の競争相手がやるなら負けたくないという考えでも、決められる国は先行できる。

成功者といわれる人たちに共通している部分
日米を問わず私が見てきた経験では、どんな職種でもプロジェクトの大小を問わず、ある目的が達成された節目の時期には、まずその関係者とグループを名指しで具体的に褒め、感謝の気持ちを伝える。次にそれに引きかえ(リーダーの)自分はこういう反省点があると認め、ここを改善したいと表明する。
(常に自分を諫めることができるかが長の能力と思う)。             そして次回はそれを改善できれば、更に高い目標でも達成できる筈だから、それに向かい努力したいので、皆さんの更なる協力をお願いしたいという。

①人をほめて感謝し、激励する、
②自己反省、改善努力の公約、
③更なるお願い、という3点セット
これが、管理職に限らず長所への注目力をふやし、組織の活性化のサイクルである。貴方から始めて、これを友人を通じ社会全体に増やすことが活気ある日本のスタートだ。

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