2013年6月3日月曜日

13602ミスが許せないわけ【017】

13602

ミスが許せないわけ【017】

ケチだけつける反対は時間つぶし
いやな世の中だ。
ほめても金にならないが、個人のミスをつつけば雑誌が売れテレビの視聴率があがる。競争社会のサガというより弱いものいじめの1種ではないか。〇〇座談会が流行るが〈だから駄目なんだ〉〈議論のすり替えだ〉などネガティブな揚げ足取り。一見まともな専門家の議論でも、データのないただの反対論だけなら出席はさせないほうがよい。
『ではどうするか?』の賛成論も提案もない。説得に何が欠けているかを言うならましだ。

公共工事などは優先順位での緊急性や景気刺激をねらうものが多い。ダムを造ったために下流の魚が減っても、その工事により洪水のリスクが減り景気がよくなった利点をわすれて、漁師の声だけを聞いてミスだとするのもおかしな話だ。

土木工事は自然を相手にした産業で、どんなに正確な地質調査をしても、掘らぬ場所に転石(大石)が埋まっていることもよくある。予算の関係で10メートル間隔くらいに点々とボーリング調査(ためし掘り)をするからだ。ミスではなく完全な調査をする時間と費用を節約しているからである(1メートル間隔で掘れば100倍の費用になる)。

データでの確率で予算を

こう考えると個人損害が出た場合、国が上告して何年も争うのはやめたい。試掘しないで巨石があったら《想定外、それは1個いくら》という見積もりもよいだろう。
これを改善するにはミスがないことを前提にした予算でなく、ミスが起るリスクの確率を測り、それを想定して対策費を予算化しておけばよい。何でも金で解決できるとは言わないが、予算がないから許せないのだから。

予め公共工事は工事費の5~8%くらいを追加か補償用に法律で上限を設けて、それ以上の損害補償はしない入札条件を設け、準備金か供託金として積立て勘定にすればよい。新しいことにチャレンジすることを罰してはならず、リスクはつき物と考える方がよい。
でないと何でも前例主義になり画期的なことを考える人がいなくなる。

政策の重要度と人選の審査; 
公職にありながら人の傷つくことを平気でいう緊張感や責任感に欠けた人物を大臣に選ぶミス、年功(当選回数)で絞るプロセスも見直すべきで、次の提案をしたい。

総理が大臣を指名するには共有する長期の国益、(どんな国にしたいか)その上で、一定の能力や知見があるかを在職経験の長い衆参議員による評価委員会を創設して承認するための公聴会での評価を加えてはどうか。弱点を攻撃された時にどこまで取り乱さずにクールに対処できるかの観察が米国のように重視されてもよい。


ことに外交と国防は他国もまきこむ戦争の可能性もあるから、幾つかの職務ポストを経験したベテランから選ぶのが国際常識ではないか。

防衛大臣や外務大臣などは外交防衛委員会や安全保障委員会の理事レベルで合同特別委員会で最低1、2年の経験者から選び、国会質疑に耐えられる人や委員経験者から大臣は選ぶべきであろう。クーデターを起こさせないためにも、精神の安定した人物でありたい。

大臣に承認された人は、マスコミの元ベテランを講師に招き数回の話し方の講習を義務付ける。多少の不慣れがあっても、半年くらいは眺めてやるくらいのゆとりもほしい。重点は政党による政治はまずは国防と経済的な優先順位を決める部分に主力をおいたものが好ましい。
 
試行錯誤の経験者を入れると対処が早い
日米の大学や大学院での入試や人材評価の1番の違いはなにか。ペーパーテスト重視の日本と違い、米国などは人間力というか課外の活動力がかなりの比重で評価対象になっている。学問的な意見も大事だが、その政策・方針で現場が動けないものは意味がない。どれだけ逆境で力を発揮できるかという部分がかなり重要な評価になっている。

テストの点数だけの評価は3分の1、エッセイを書かせ思考力や考えを文書に移せるかの応用が3分の1、さらにスポーツや芸術などの経験が残りだという。理解力、思考力と表現力に加え、それを現場で実践する力の三位(み)一体である。その意味で推薦入学をみとめるのは進歩だと思う。

試行錯誤に強いひとは、過去に色々な失敗を経験し、具体的な代案がひらめく人。グローバル時代には記憶や思考だけにたよる人物よりは、実地にものが見えてそこにいる人たちとコミュニケーションができ、相手を納得させうる人間と海外でも国内でも向き合う。

実社会での実力は報告書では分らないのはその辺にある。それは米国などの海外で口八丁、手八丁の人たちとどう協働できるかでもある。
まずはエレベーターの中や、通りすがりの知らない人で目の合った時にどういう挨拶や会話ができるか訓練するのも、一つの向上方法だという友人もいる。

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