2013年6月1日土曜日

13601 1流国?なぜモノが決められなくなったのか【016】

13601

1流国?、なぜモノが決められなくなったのか【016】

東日本大震災でもまた被災者は驚くほど落ちついて対応したのに、非常時の行政組織は2年たってもガレキの処理も終わらず、原発の先行きもみえていない。国防も米国にあずけ自国の問題で他国の意見を頼りにしすぎて、自分の意見を云わなくなったのは、何でも反対する風土ができて、主体性を失ってしまったからではないか。


しかし原発反対、自衛反対、憲法改定反対で、何でも反対で大事なことは避ければ済むわけでないと少しずつ気づき始めた兆しも感じる。憲法改定まで他国が意見をいうようになったら、これはもう日本の憲法ではないといえないか。ようやく欧米でも理解できる金融政策がとられようとしているが、北朝鮮が大きな賭けに出るときに市民は何をどう考え行動するのか、違った視点や試案を提供できればと思う。

(1)1流国か2流国か?
 (A)なぜ1流か
アーミテジ元国務副長官が終戦記念日に3回目の提言をした。《日本は1流国か、2流国かを選ぶ時期がきている》という。同氏と働いた友人になったアウワー教授(Vanderbilt Univ.)の話では《米国は尖閣を沖縄返還のときに日本に戻した。もどした場所が紛争になる場合は、安保条約によって防衛する義務がある。

仮に日米それぞれの自衛艦が共同で尖閣に向かった時、日本艦が攻撃された時は自己防衛でき米艦も反撃できるが、一緒に行った米艦が攻撃を受けた時は日本艦は反撃できないというのが、日本の従来の内閣のポリシー(法制局の憲法解釈)だ》《憲法の解釈でも法的にはできるはずなのにこのように狭い解釈をいつまで続けるのか》という。


米国では議会のリーダー層は日本国民の大多数は本当に国土を守る気があるのかに疑問を感じており、日本人が守る気もない島を米国が守るのかという意見がある。米国が守ってくれるかどうかはその次だという海外ではごく普通の考えである。東北大震災では米軍は沖縄から翌日には空母を含め《友達作戦》を出動させ、仙台を含めた被災地の支援に当った。

友達は助け合うというメッセージでもあり、攻められたら互い助け合うという関係である。これができないものは対等な付き合いをして貰えないばかりか、格下の扱いをうけても仕方がない。アーミテージ氏の問いかけはそこを質(ただ)している。

どうして1番でなければならないんですか、2番じゃだめなんですか』という発言をした方がいる。あなたが2番目に速いスーパーコンピューター会社の営業マンの場合、お客になんと言って売り込めますか。最高速だから買うという人に、その違いが幾らに換算されるか。子供の運動会ではないのだから。
敗者への慰めや保身を全体の目標にしては、勝者の努力への敬意も自分への誇りを持たないことになり、勝者からは惨めな扱い(無視される)を受ける村や町で応援され1度でもトップを目指したスポーツマンには分りやすい。弱者救済をし続けた経歴の方には分かりにくいのなら、『私は2番でも結構なOOです』といって選挙にでてみたら分かる。

リーダーたる人はそういう世界にでて絶対に《自分は2流で結構》と言ってはならないと私は思う。せめて『今は1流ではなくとも、将来必ず1流になりたい』と言わなければリーダーではない。競争のない世界は応援する人もいないし、ホビーを楽しむ領域である。課の中で1番だから課長をやり、部で1番が部長をやり、総理や社長は各国で1番をめざすのがたてまえだ。それが嫌ならそこにあがらない方がよいのである。

中国や韓国は過去の歴史の事件に巧妙に嘘を混ぜて、いかに日本は悪い国かという思想教育を永年やっていると聞く。その目的は、自分たちの過去を詮索させないためか、日本人より優位に立つためだと考えてよいだろう。韓国や中国は歴史を学べと主張するが、その内容は自分たちが現在の都合で書き直した歴史である
詳しくは長くなるので別の項で触れたい。なぜかといえば先進国の消費者が日本品より自国の商品を買ってくれればよいという戦略からだ。殆どの商品が日本や米国の技術の技術提携品かコピーで、競争で勝つのが難しいからではないか。でなければ国際会議で優先して自国の声を聞いてもらいたいからで、すべて競争での優位をえるためである。

(B)沖縄の声はなぜ伝わらないか  
アワー氏は《日本がやるべき行動をとれば、中国人は大声で非難するような行動をとるだろうが、同時に相手を尊敬するのだ。》
《沖縄は北朝鮮にも近く、尖閣の周辺も含めれば中国の漁船などに脅かされ続けており、現地や離島は海兵隊がいて欲しいといい続けるのに、県外などと言い出し自治体の長の立場を難しくしている》という。

日本人は意識していないが、日本列島からフィリピン諸島までの弧が、いかに近隣諸国の海運を妨げる存在かは地図に見るとおりである。しかしこれは神仏のなせるわざで、謝る必要はないのだ。

《普天間基地はまわりに住宅が増えてまち中になった。(あってはならない(レイプ)事件やヘリ事故があり)名護に移す案がでた。だが普天間基地は多数の地主が所有しており、いま地代を受け取る(本土にもいる)地主達が賃料が入らなくなるのでこぞって反対する。

移転先候補地の辺野古町(1800人、キャンプシュワブに隣接)と名護市は30キロも離れていてあいだに山々があり、その西側に5万余りの人口の殆どが住んでいて騒音もない場所にいるのに反対するこれが本土の主流のマスコミが伝えない実情であると彼はいう私もそうだが、日本人は反対派の意見に耳を傾けすぎる傾向があり、本土の日本人が南西諸島のことを1番知らないのだ。(カッコ内は筆者補足)

《かって冷戦時代のソビエトのクルフチョフ書記長は、米国代表との交渉の場で、突然靴を脱ぎテーブルをバンバン叩き始める蛮行で威嚇した。中国人でも同じことをまねた要人がいた》という。これに驚くふりをすれば、道化にはなれてもリーダーではあるまい。
それを眉も動かさずクールに受け流し『日本では靴のほこりは外でとるよ』くらい言うべきだ。何と言い返すかを、日本の指導者は今から考えておけば我々の期待できる人物であろうと思う。 

0 件のコメント:

コメントを投稿