2013年6月18日火曜日

13610事実と意見とを分けないマスコミの混乱【025】

13610

事実と意見とを分けないマスコミの混乱【025】

 受け取る権利と与える義務と

この世には助けてもらって当たり前という考え方と、困った人は助ける義務があるという考え方の違いがある。それは非常に微妙なことから、天と地ほどの差になることがある。先述したが、1流国と2流国の違いは、友人どうしなら助けて当たり前で対等だが、助けられる方がいつも同じというのでは対等な関係は維持できず隷属関係になる。一方的な負担は長続きしないのだ。

全く違った事例に見えるが、東北大震災のガレキ処理でNHKスペシャル《復興予算はどこへ》によれば、東松島はトン当たり最低コストで処理できたが、その何倍もの費用が掛かっている町村がある。自治体の管理能力の違いもあるが、取り組む精神もある。


コストを低く抑えた自治体では『他県に住む人たちの財源を使わせていただいているのだから、1円でもおろそかに使えないと』という行政の使命感と感謝の心がある。釜石では実際にテスト解体をして早く安くできる方法を考案したという。
かたや高くなった地域では、人が減り行政は多忙を極めたのであろうが、土木工事業者には水増し請求するような不心得者がいたという。権利か義務かで値段の差ができたという結論にはならないかも知れないが気になる違いである。

② 丁寧すぎて必要な人数が集まらない社会(非常時対策をもつ)


5年間で19兆円の予算を消化できず、国の行政は被災地に関係のない場所の公共事業などにも、予算をまわしたと非難されていた。


公務員1人が、かりに毎月1億円の案件(月50万円の作業員で166人分の仕事量)を監督し処理できるとしても3000人でも5年、5000人で3年かかる仕事量なのだ。

土木の仕事量を米国流にバクッと捉えると、労賃と材料費が半々の仕事と考えるとよい。作業員の年収の1月分を40万円とし、その取り纏め管理費を25%加えると1月1人50万円。計算は難しくないが、何人集まるかが鍵で、ゴミを除かないと後が進まないなどの手順に立ちはだかる障害を排除する手順と所要時間の予測がカギだ。


東北震災では各地から志願した公務員がご苦労している報道をみた。遅れ手続きで、非常時には平時と同じ丁寧さで一軒ずつ意見を聞いてまわっては時間が掛かりすぎる。米国なら公聴会を開いて《来ないと損をするかもしれません》と通知して、《基本のルールを皆の意見も聞き3~5くらいの条件に絞る》。そこで図面を作ったらそれを郵送して、ご意見あれば2週間以内に申し出ることと伝える。ここを相手の都合でアポをとり、廻って歩いたら半年でスタートする仕事が3倍かかってしまう。


 電気、飲料水、下水、ガスでの必要な人数が集まらないと、個々に家を建てても全体計画を誰が立てるのか。それぞれの作業スピードが分かれば人数も決まる。2300万トンの半分が燃えないゴミとすれば30メートル積みで500メートル四方だろう(比重1・5として)。水中にパイルを打って生めて公園かゴルフ場にしてもいいし、漁場問題があれば、あとに触れるが、空いた場所のある国に埋めさせてもらう手も考えられる。財政の処理が単年度で切られてしまう現状に問題があり、繰越を認めもう少し長期での復興対策を認めるべきである。


そうした制度の問題もあるが、やはり大事に使わせていただく心の行政があるかどうかが、これからの行政への市民の要求になってゆくだろうまた受け取るのが当たり前という人々に対しては、どれだけその前に公共や他県へ奉仕をしてきた実績(徳積み)貯金があるかという見方をいれるか、単価だけの入札かといういずれかに向かうしかないように見える。1番をめざして努力し、周囲の支援に感謝する方が好ましいのではと思う。


苦痛の代償は当然であるが

たとえば、新しいゴミ処理場をつくる場合、《全く臭いもゴミもホコリも出しません》と約束させても、違反した時の罰則規定がなければ強制できない。そこでまず、

(A)その証明と保証 違反もあり得るものとして、予防のために売上の1%を供託金として村名義の口座をつくり積むことを入札条件とするのも1つの方法である。約束しても違反があるという前提である。これを市長が勝手な流用できない規定を入れさせる監査機関が欠けていないか。政治家や政党への献金にしないところがミソで、5年か10年たって問題が生じなければ、その金は自動的に公園などの環境向上に限定して使えるようにしておく。

(B)インセンチブ(特典) 
半径1キロ以内に住む住民のゴミ料金を3分の1か半額にするというのはどうだろう。原子力発電所なら、半径10キロ以内は非居住地区とし、その外の30キロ以内の住民の電気料金は永久に10分の1にするとか、50キロ以内は2分の1にする方が判りやすい。市民としては、放射能漏れの可能性がかりに20年に1度(5%)のリスクとすれば、毎月確実にかかる電気代の節約分とどちらを選ぶかである。可能性のあるリスクを経費で前払いである。電気を大量に使うレーザー加工会社などが集まってくるだろう。

この部分が交付金などの名目で国の税源から支払われる場合の欠点は、形は民営企業の工場進出でありながら、受け入れ地域の住民はその税金に依存する心理になり、民間会社(電力会社)との対等な契約でのギブアンドテークから外れることだ。
この辺がキチンと合理的に考えらる民間企業の考えから外れると、独占を前提とした電力会社は事ある度に損害のつけだけを国にたよる無責任な存在になる。

大震災があってから、被災地を支援するために、他の自治体が地域住民の税金で被災地の支援をするのは、短期的にはできても長期には継続できない。だから非常時の避難者受けいれや優先介護サービスなど長期的なものは、相互援助契約のような姉妹都市の関係を少し離れた地区と結んでおき、普段から交流するのが心の通う方向であろうか

国の責任である国防では話は別であろう。例えば普天間基地では、明らかに国防の観点から国と県や自治体の決め事にするほかなかろう。『基地はない方がよい』から国外移転を主張するのは、金持ちからの寄付で生活の安全をえていながら、金持ちを守る警察は要らないというのに似た勝手な議論といえばいいすぎだろうか。尖閣で牙を見せた隣国があるのだから、先延ばしは非現実で無責任といわれても仕方あるまい。

 時間をかけて努力してきたと判ればドアが開かれることも多い

新井白石が《日本の基準で日本を見て、同時に中国の基準で中国を見て初めて「交渉」が生まれる》と云ったという(注7)。お互いの物指しが違うことを知って考える人だ。
日本の基準となる憲法や個人が価値観を持たずに海外で交渉すれば、相手の基準と価値観だけで議論することになり、国対国の交渉が出来ないから、こちらの反対する理由も説明し納得させられない。だから日本の基準を説明し主張するしかない。やはり価値観が求められる。
 
これと矛盾するようなことを言うようだが、民間では日本対アメリカという国対国の政治がらみの議論に持ち込まないことが肝要である。あくまでも米国住民(法人)としての議論にするのである。米国に居住する仲間として《あなたのいうことは、(米国の)独禁法・不公正取引法から見て問題にならないか》。あるいは、《我々マイノリティーに対してフェアでない》などの議論である。(こういう分野の法律にはうとい弁護士も多いから耳を傾けてくれ、大企業相手には意見が通りやすい)

人の意見に反対すれば注目はされるが、理由が相手に納得できることが重要だ。私の経験から言えば、民間レベルではアメリカ人との交渉で驚くような結果が得られたのは、何らかの米国法に基づいて議論し交渉したときである。相手はどこにいても米法に縛られているからだ。その点から、独占禁止法やフェア・トレードとはなにか勉強しておこう。

米国品購入条項(Buy American Clause; 州法)の凍結を主張しての論争や、米国の超大手が《日本に子会社があるからという理由で(向け先が日本であると想像し)米国法人に売らないのはおかしい》などの議論である。差別をさせないということだ。
たとえば相手がパテントを持っている場合でも、原料を米国内で買えれば、日本での競争の可能性もでてくる。原料は販売するのに、技術は販売(技術提携)しないのはおかしいという議論もありうる。事前に弁護士からある程度の知識を仕入れて交渉にのぞむ。相手の会社の顧問弁護士が現れ、こちらにも利があると判断すれば譲歩もありうる。だが国対国となるとお互いに面子もあり、話が大きく利害が複雑になりまとめるのは困難になる。

④ 正解や事実は立証されるまではいくつもある

覚めた目で世の中を見ながら、問題の核心について複数の視点から情報を提供するジャーナリストが増えてきたのは嬉しいが、失敗の責任追及ばかりしている内に、会社の規模が大きいほど誰もが責任を逃れるために仕事をするような風潮は変えるべきだろう。

(A)正解は複数ある
物事は、さまざまな背景や事実と思われる事象や証拠の集まりで、《これが1番本当らしいぞ》から《これが事実だ》に落ち着くまでは白か黒かでは決められない。噂であり、空気であり、時を経てそれが周辺の事実と相まって固まりはじめ、徐々に形や方向が見えてくる。これを助けてくれるのがデータであり情報である。情報は噂ではなく事実に基づく。

日本の世論や一般の意見が右左にゆれが激しいのは、正解は1つしかないと幼い頃から脳に刷り込まれる教育に原因がある。ある社長は、シカゴ郊外の自分の娘が通う学校を引き合いに「日本と違う点は小学生の算数では答えがいくつもあるような問題が多いですね」という。正解は1つではないと教えている。その方が、社会の実態にマッチしている場合が多い。x+y=5か2+3=xの違いである。

世の中は白黒で割り切れないグレーの部分が多く、どれを選ぶかはその時点で相手が一番納得しやすいものか、得られる利益、経費やリスクの比較から、そこそこ賛同を得やすいものという考え方の方が一般的ではある。
オーナー社長は他社との差別化を考える人が多いが、メーカーもそうした思考がある。

(B)納得させる
この人はなぜこう考えるのか、どう説明をすれば相手が納得してくれるかを考える習慣を身につけることが必要だ。反論するには、第3者が聞いてどちらがより説得力がある
かである。議論に勝ちやりこめるのが目的ではないから、相手が納得すればよしである。
米国では中学に入るとディベートのクラスがありインドも同様だと聞いた。
将来のリーダーに限らず、議論で相手を説得する訓練は不可欠である。集団を代表してというなら、政治家もマスコミ関係者も、日本国内にいる外国人にわかるように2つか3つの切り口で、なぜ1つを選ぶのかを説明すべきだ。

それが米国などで報道されれば、中国や韓国のように報道管制や監視をする国が、一方的に自国に都合のよいことばかりを主張しても、英語のわかる人は多いから、ネットを通じて海外の事情は把握できる。マスコミの仕事は事実(fact)か意見(opinion)かを振り分けることだが、そこがあいまい過ぎるのだ

若いうちから《先生》と持ち上げられ恐いものなしになる方がむしろ恐いし、大失敗をさせて、若い芽をつんでしまうのも勿体ないからお灸をすえるだけでよい。政治家であれ行政官であれ、その業界における優れた人材を育てないと、今後外国人との議論は期待できない。

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