戦略に関する理論(孫武、ランチェスター、マーケッティング)
私の経験での失敗例(1305~8項)でお気づきであろうが、うまく行かなかったケースは、きちんとしたマーケッティングの予備調査が行われておらず、何を選ぶかを十分に比較検討されていないケース、他社製品との取り付けの問題が多いとわかる。
メーカーか商社かではない
メーカーだと、自分の会社が造っているものを売って当然で、検討の余地はないという考えが根本にあり、それを変更することはコストが上がるため抵抗がある。また大手メーカーは手持ちの総ての事業部の製品を売って欲しいが、商社は売れるものを売りたいのだ。
造ってはいても、それが日本市場では売れるが、海外市場でもそのままで売れるかどうか。
ここがきちんと調査され、検討されておらず、『ごちゃごちゃいうなら、よその商社に頼めばよい』という、安易に『言うことを聞く商社』と組みがちだ。多くの総合メーカーが失敗するのはこの辺りに原因がある。日本で売れているから、海外は単に生産量をふやす対象と捕らえていて、米国市場のために開発する考えでない。メーカー・商社にかぎらず、やるべき事は手抜きはできないのだ。
売れるはずというものは売れない
マーケッティング戦略とかいうが、自社の商品をそのまま米国の市場で売るために、という前に、市場が望む商品を用意するする必要があるのだ。
設計変更でコストアップになってでも、である。この調査には時間と金が掛かるが、それは手前味噌だが売りたいという商社が自社で調査をせず、第3者の調査にした方がよい。
売りたい人の調査は、どうしても”売れる”という結論がはじめからあるからだ。その点はメーカーでも同じだが、初めから『売れるためには、どういう仕様変更が必要か』という姿勢で調査にすればかなりは解決できるだろう。
- まずは競争相手がどんな商品をもっていて、自社品はその中ではどういう位置にあるのか。
- 価格と性能はどうかを調べる。
- 次にどういう長期計画で自社を存在させるか。その目的はなにか。
広告宣伝はマーケッティングのほんの一部の機能で、商品計画から、シェアを伸ばし顧客満足度を調べ、次の商品企画を測る、長期の戦略機能も持つ。米国で会社を始める日本企業は、大きな資本で始めるケースは別として、大概は200万ドル以下の資本でスタートする場合が多い。つまりはランチェスターの法則で言えば弱者の戦法であり、大国の人が弱いゲリラ戦法といってよい。
もともと市場競争は、国のレベルで考えれば財の取り合いだから、戦争の理論(戦術)を借りたものがマーケティングの基本にある。コロンブスの15、16世紀の航海時代に発達した貿易は、航海船を守るための護衛艦のような装備があったから無理もない。
国から民間へ
現代では、国別に付加価値に対して所得税もかかる。製造業の工場がどこにあるかは、労働者の労賃と、一定レベルの教育と技能者や技術者がいるか、安定した電源、輸送、通信網などのインフラがあるか、それに購入する部品やサービスがスムーズに手に入るかどうかで決まる。
完成する製品に組み込まれる部品は、安定した供給をするためには1国ですべて作られることは、リスクの分散もあり少なくなっている。何をどこで作るかは、それぞれの企業の戦略になっており、国別で争う意味が減りつつある。国が考えることは民間企業の競争に比べれば、それほど予測がつかないものは少ないからである。
政治的な紛争があるごとに、原材料の輸出を止めたり、国民の打ち壊しを許す国は、自由貿易を妨げるから、政治が経済をハイジャックし易い国はさける方向にある。
企業としては好ましくないハイリスクな国と格付けされ投資を引き上げるから、国もあまり無茶な介入はできない。つまり、原材料を政治的な武器にするのは企業活動の妨害なのだ。
私見をいえば、中国がアフリカやアジアへの進出を急いでいるが、100年以上も遅れて、帝国主義時代のような進出形態で出ようとしても、後から問題が続出するだろう。なぜなら国有企業が出れば、国家という政治色の強い組織の考え方が拭えないから、自由貿易とそれに伴う法制度なしでは時代がマッチしないのだ。
相手の市場を満足させる商品やサービスで競争して勝とうというよりは、有無をいわさず、あるいは自国の悪習・アンダーテーブルで現地の政治家を味方につける手法をとると予想できるからだ。
結局は現地の市民・消費者の反抗にあうのだが、意外といまだに続いている。NPOや民間企業がやることは、半分は競争原理だからその方が、力の衝突は避けられるのではないか。
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